公作米御用記録
- <「宗家文書」の解題について>「宗家文書」の解題は、「国立国会図書館「宗家文書」目録」(『参考書誌研究』第76号)の分類ごとに作成されています。以下は、目録分類「2裁判記録関係」の解題です。年代順目録は、リサーチ・ナビ調べ方案内「国立国会図書館所蔵「宗家文書」」を参照してください。書誌情報タブ(詳細レコード表示)の「被参照資料(URL)」の項目に関連資料へのリンクがあります。<解題>2 裁判記録関係 283冊裁判(さいはん)(外交官)の交渉記録。裁判の倭館派遣は館守よりも古く、文禄・慶長の役(1592-98年)以前からといわれている。始めは町人が派遣されていたが、慶安4年(1651)官営貿易の輸入品である公木(木綿)を米に換える「換米の制」が5年期限で成立し、この年限更新の交渉に裁判があたったため職務範囲が複雑になり、そのころから士分の者が任務につくようになった。裁判には倭館での滞在期限がなく、ひとつの裁判の派遣中に別の裁判が派遣されることもあり、いつしか常駐役員の扱いを受けるようになった。裁判の種類は、以下の4通りである。(1)使迎送裁判(通信使派遣に関する下交渉と、来日・帰国時の迎送)。(2)訳官迎送裁判(対馬へ派遣される訳官使の迎送)。(3)公作米年限裁判(「換米の制」の年限更新交渉)。(4)幹事裁判(上記以外の交渉)。裁判の起源は古いが、記録の提出が義務化されたのは宝永2年(1705)以降のことである。このため現存するものは佐治宇右衛門(訳官迎送裁判)派遣の宝永2年2月25日の記事からで、最終は渡辺小右衛門(公作米年限裁判)の明治4年(1871)2月3日である。このうち嶋雄八左衛門・雨森東五郎・松浦賛治・朝岡一学・戸田頼母の裁判派遣5回分が欠本であるが、記録が義務化してから延べにして81回(病気などによる代行分を含む)の使行があり、それからみれば僅かである。記録の内容は、任命の日から帰国までを日記形式に書き留めた本文と、国元家老との往復書状控(別冊)を一セットとし、これらを各二部ずつ作成して倭館(現在当館所蔵)と対馬藩国元(現在韓国国史編纂委員会所蔵)に保管した。『館守毎日記』と異なる点は、館内の出来事よりも、交渉経過を中心に記録されていることである。裁判は本来の派遣名目以外に、複数の懸案事項を持ち込むことが普通で、なかには日朝関係をゆるがしかねない重要案件も含まれることから、日朝外交の交渉実態を知るためには不可欠な史料といえる。このほか外交儀礼に欠かせない事項として、宴享の規式や日供(支給物)の内容について詳細な記録を残すよう指示されており、とりわけ倭館で提供される饗応料理について、献立・食器・食材にいたるまで事細かに書き留められている。このため本書は、日朝食文化交流の歴史を調べる基礎的な文献としても注目される。裁判については長正統「日鮮関係における記録の時代」(『東洋学報』50-4、1968年)、倭館の食文化交流については田代和生『新・倭館─鎖国時代の日本人町』(ゆまに書房、2011年)を参照。(田代和生)(2017.3)