御書翰嫌字覚書
- <「宗家文書」の解題について>「宗家文書」の解題は、「国立国会図書館「宗家文書」目録」(『参考書誌研究』第76号)の分類ごとに作成されています。以下は、目録分類「4両国往復書関係(2)書式・目録」の解題です。年代順目録は、リサーチ・ナビ調べ方案内「国立国会図書館所蔵「宗家文書」」を参照してください。書誌情報タブ(詳細レコード表示)の「被参照資料(URL)」の項目に関連資料へのリンクがあります。<解題>4 両国往復書関係(2)書式・目録 3冊館守方に備えられた外交文書作成に必要な用語・先例・修辞法をまとめた書式集と、『両国往復書謄』の目録からなる。最も古い『御書翰嫌字覚書』は、正徳4年(1714)以酊庵輪番僧(対馬府中で外交文書を担当する京都五山の僧侶)の天龍寺妙知院中山玄中(再任)が書出した「東武御諱字・朝鮮国御諱字・封進物目録」と、享保13年(1728)朝鮮方の松浦儀右衛門と越常右衛門へ提出された「日韓往復闕上字図」などの書式覚からなる。『日韓往復書式往復不時書契目録』は、寛政6年(1794)から翌年にかけて館守戸田頼母(三任)の代に作成された書式・目録である。このうち書式について、戸田頼母は覚書の中で「不時御使者返翰吟味之節、不功之住持在勤之節は、下見・御返翰当日共書式文意等宜候由御座候ニ付、御使者取帰ニ至後不吟味之所在之、毎々為改撰被差越、御手入相成、甚以如何敷事ニ付、折節真文佐々木恵吉渡合故、申渡候て一ト通書式仕立差出候」と述べており、東向寺僧の技量不足による不吟味の公文書持ち帰りを防ぐために、朝鮮方真文役の佐々木恵吉に作成させたとしている。また目録は、寛永元年(1624)から承応2年(1653)12月までを著録(寛政7年4月作成)したものと、承応3年(1654)から明治2年(1869)3月分までを補遺著録したものに別れる。戸田頼母は『館守毎日記』同様、『両国往復書謄』の現存状況と内容を調査し、そのころ倭館に承応3年(1654)以降のものしか置かれていなかったことから、寛永11年(1634)から承応2年までのものを新規に9冊に仕立てて収蔵している。(田代和生)(2017.3)