平胤送使記録
- <「宗家文書」の解題について>「宗家文書」の解題は、「国立国会図書館「宗家文書」目録」(『参考書誌研究』第76号)の分類ごとに作成されています。以下は、目録分類「3送使関係(1)児名送使」の解題です。年代順目録は、リサーチ・ナビ調べ方案内「国立国会図書館所蔵「宗家文書」」を参照してください。書誌情報タブ(詳細レコード表示)の「被参照資料(URL)」の項目に関連資料へのリンクがあります。<解題>3 送使関係(1)児名送使 6冊「児名送使(じめいそうし)」とは、対馬島主宗氏の嫡子名で毎年派遣される年例送使のこと。起源は享徳元年(1452)と古いが、中断・再開をくりかす。江戸時代の児名送使は、慶長16年(1611)宗義智の子「彦三」(後の宗義成)送使に始まる。平姓を名乗る宗氏の胤嗣(いんし)(後継)であることから、「平胤公」「平胤送使」などとも称される。毎年、正官以下の使者が乗船して外交書簡も所持することから、年例送使(通称「八送使」)の部類に入り、渡航船が9種になることから児名送使派遣期間を「九送使」と称す。当館に所蔵される児名送使の記録は次の6冊である。1『御児名送使記録』享保12年(1727)2『御児名御図書御請取之式』文政6年(1823)3『癸未年條御児名送使記録』文政7年(1824)4『平胤送使記録』文政10年(1827)5『御児名送使記録附り順附漂民』文政13年(1830)~天保2年(1831)6『御児名送使記録』天保5年(1834)~同7年(1836)このうち1は児名「弥市」(後の宗義如)名義の送使記録。2~6は児名「彦満」(後の宗義章)名義の送使記録。児名送使は、「弥市」送使の後いったん中断するも、文政7年(1824)「彦満」送使派遣によって復活する。2は前年に渡航証に押印される図書(銅印)が支給されることになり、その請取記録である。5の「順附漂民」は、児名送使に朝鮮漂流民を乗船させて送還したときの記録である。年例および臨時送使については田代和生『近世日朝通交貿易史の研究』(創文社、1981年)を参照。(田代和生)(2017.3)