石橋山合戦 3巻
- 青本、3冊合1冊、柱題「石はし山、いしはし山」、画工名無記。(1)初印系は「根元石橋山」の題で山本が刊行、宝暦13年(1763)とみられ、大東急記念文庫本「根元石橋山」が該当。(2)同じ版木を西宮が求めて「石橋山无動源氏」の題で販売したのは題簽の意匠から「卯年」と判り「寛政七乙卯年(1795)」と推定される。大東急記念文庫本「石橋山无動源氏」が該当。(3)題名は初印本と同じで題簽の初印の意匠上下の福良雀部分を青海波と一兎に、冊次下の商標の「丸に山」を「丸に十」に入れ木で修正した東洋文庫岩崎文庫本「根元石橋山」がある。(2)と(3)の関係は未解明である。当館本の題名「石橋山合戦」は任意の後補書題であり、本文の商標欠なので、改題系(2)か(3)の題簽欠ということになる。(内容)(上)若い頼朝は伊豆の明神へ詣で宗盛奉納の宝剣の額を袈裟懸けに切り、安達盛長喜ぶ。真田与市は13歳の時、山へ追い込んだ鳥に飛び掛かる狼の首を抜く。傅(めのと)真田文蔵は「摩利支天の再来」と感嘆する。岡崎悪四郎は頼朝をもてなす。与市が力を示そうと滝に腕を差し込むと滝が宙でもんどりを打つ。頼朝は伊藤次郎の娘千くさの前と契り一男「閉坊麿」を儲け夫婦で愛する。伊藤は頼朝を憎み「娘を疵者にした」と怒る。伊藤館での頼朝公慰めの酒宴に、和田義盛、千葉常胤、梶原景時、秩父重忠、北条四郎、大場平太、又野五郎景久が集まり、又野が兄大場に「みな頼朝に心を寄せるようだ。油断なさるな」とささやく。頼朝へ相撲を照覧に入れるのに邪魔な大石を、力自慢の又野が投げようとした所へ、真田与市が通り掛かったので「この石をやろう」と言う。三浦大助は孫の与市へ「その石を受けよ」と言う。与市は両手を広げて待ち「良く投げ給え。投げ返すぞ」と言い、受け取った石を投げ返す。又野は取るには取ったが尻餅をつく。(中)又野はその雪辱のため相撲で25、6人に勝つ。河津三郎が出、河津掛けで又野が負ける。大場三郎は河津掛けを許さず刀に手を掛け、千葉之介(常胤)が止める。頼朝の一言で無事収まる。近江・八幡は工藤金石の所領の意趣で伊藤を殺そうとして河津を射る。河津三郎は奥野の狩の戻りに遠矢に当たり一万と箱王に「敵を討って我に手向けよ」と言って最期。河津の女房万江嘆く。伊藤入道は源氏の子は「平家へ不忠だ」と閉坊君をとゞろが淵へ柴漬(ふしづけ。体を簀巻きにして水中へ入れる。)にさせる。伊藤が頼朝を殺そうとするので、河津の弟伊東九郎祐清が千くさと心を合わせ、頼朝を北条方へ落とす。北条館に来た夜、頼朝は文覚(絵では「門」)が平家追伐の院宣を持って来た夢を見る。文覚が土井親子、真田与市ら頼朝へ味方の面々を連れて北条館へ参る。政子の前、北条四郎、頼朝が迎える。頼朝は計略通り采配を振り山木を夜討ちする。(下)真田与市は寄せ来る平家を200騎ほど討ち取る。岡部弥次郎は真田と知らず組んで、首を掻かれる。与市は又野と組み合い組み伏せて首を取ろうとしたが差し添えが抜けず、石に打ち付けると鯉口から折れる。又野の郎党長尾新五・新六が駈け来、新六が与市を討つ。与市21才で最期。石橋山の合戦破れ、北条四郎時政、江間小四郎義時、藤九郎盛長、土井(土肥)次郎実平、土肥弥太郎遠平、千葉介常胤、新開荒四郎の「七騎落ち」となって木の洞に隠れる。大勢攻め寄せ、梶原は洞に入るが頼朝を哀れに思い「何も居ない」と言って助ける。大場・又野は疑うが鳩が飛び出たので合点し、奥山深く尋ね行く。秩父、和田、佐々木、三浦、本田が味方に駆けつけ、頼朝は平家の広常を頼もうと舟に乗り上総へ渡る。「追いついて味方申さん」と大勢が扇で招き頼朝は限りなく喜ぶ。頼朝は六十余州を討ち取り征夷大将軍となり、鶴ヶ岡で黄金の札を付けて鶴千羽放す。(木村八重子)(2021.2)(参考)『大辞典』第11巻(平凡社、1935)に立項。「『新板 根元石橋山』について」(黒石陽子、「叢」30、2009.2)に、諸本書誌(「根元石橋山」「石橋山无動源氏」「石橋山合戦」の関係)・当館本を底本とした影印翻刻・解説(『頼朝一代記』『曽我一代記』との類似について)を載せる。