伊豆熱海温泉縁起 3巻
- 青本3冊(合1冊)、鳥居清経画、柱題「おんせん上(中・下)」、鱗形屋版、上冊分字題簽「伊豆(いづの)/熱海(あたみ)/温泉縁起(をんせんゑんぎ) 上」、中冊分絵題簽あり。題簽の意匠により安永元年(1772)刊。他に改装の東京都立中央図書館加賀文庫本あり、序題により「伊豆國熱海温泉縁起 全」とする。(内容)熱海温泉縁起を首尾に配し、養父の敵が実父と判り自害する仇討物語。浮世草子『怪醜夜光魂』(当館請求記号:188-284)の「衣笠山の恋 村川兵蔵養父の敵にあひ切腹の事」の設定を模す。(上)22代仁賢天皇の時、獄死した蚊島穂允君を伊豆加茂郡の海底に沈めると、波間に炎上し群魚が腐乱する。悲嘆した箱根の万巻上人が山神の力添えを得て、この湯を山辺へ祈り移したのが熱海の湯で、山神を祀って湯前権現とする。この湯は昼夜6度、卯巳未酉亥丑の刻に湧き出す。さて、足利基氏の時代、鎌倉に雪の下所太夫という武士があり、娘さゑた16歳は長谷の花見で名も知らぬ若侍と契りを結ぶ。若侍は再会の形見に青貝の印籠の中二重を渡して別れる。娘は月満ちて男子を産むが、お七夜に「この子が父親に会う時の印に」と形見を叔母に託して死ぬ。50歳まで子の無い六浦舟右衛門がこの子権之介を養子にして寵愛する。彼が15歳の時、養父は譜代の家来で屈強なとぐら紋治を供に熱海へ湯治に行く。(中)舟右衛門は逗留を延ばし名所古跡を巡る。隣座敷の逗留客2人とも親密になり、刀の目利を頼まれる。米町専九郎の刀は正真の正宗だが、犬かげの刀は自慢ほどでない。舟右衛門が紋治に1両与え遊興を勧めた夜、遺恨に思う犬かげは雨に紛れて忍び入り舟右衛門に切り掛ける。駆け付けた米町は誤って舟右衛門と斬り合い、大袈裟に切ってから舟右衛門と気づく。戻った紋治は主家へ知らせるため追腹を思い止まり主人を葬る。負傷した米町を家来銀平が御供して立ち退く。権之介が足利家へ願い出て養父の仇討に発つ時、叔母は実母から預かった形見を渡す。紋治は権之介の供をして敵を尋ね上方へ赴き、2刀を働かせて山賊を追い掛ける。(下)権之介は竹の下の庵室に駆け込み宿を乞う。有髪の沙門が労って宿を貸す。権之介が持仏堂を拝すると仏壇に青貝の印籠があり、所持の形見がしっくり合う。養父舟右衛門の敵を尋ねると聞いて庵主の覚夢は実父と名乗り、父子は対面を喜ぶ。家来同士の紋治と銀平は挑み合う。覚夢は切腹し、止める権之介へ「敵は自分だ、首討って養父へ手向けよ」と言う。権之介は実父と養父の義理に挟まれ自害する。覚夢は末期に家来2人に刀を与え犬かげを討つことを託す。回国の虚無僧に窶した犬かげは熱海に戻り、元湯の辺で独語するのを家来2人が見付け、声の響きで湯の湧き出る「清左衛門」ともいう「方斎湯」の傍らで討ち果たし両主人に手向ける。熱海の温泉は万病を治し、萎れた草花も蘇る稀代の名湯である。(木村八重子)(2016.9)(論文)「敵討義女英の素材と構成―再評価の前提として―」(今野達、専修国文第25号、1979.9)に本作の梗概があり、「敵討義女英」は「伊豆/熱海/温泉縁起」を粉本とし、それはさらに享保2年(1717)刊浮世草子『怪醜夜光魂』巻1の3「衣笠山の恋 村川兵蔵養父の敵にあひ切腹の事」の二番煎じと説く。棚橋正博著『黄表紙総覧』前編(青裳堂書店、1989)p.259(安永9)に本書を立項、〔備考〕欄に小池藤五郎氏の論文と今野氏の論文を取り上げて内容を説明し、刊年の問題、鱗形屋の衰退等について詳しく述べている。