威徳物語 2巻
- 青本(合1冊)、富川〔吟雪〕画、柱題「つのまる上(下)」、『青本絵外題集1』(貴重本刊行会、1974.7)、178・179頁の「新/板/角麿/寶剱/威徳物語 上」、大東急記念文庫本の題簽「新/板/角麿/寶剱/威徳物語 下」により、午(安永3[1774])年鶴屋版。蔵印「巴山人」あり。当館本「つのまる」(当館請求記号:208-197)より摺が後。(内容)聖徳太子もの。合邦ヶ辻の由来。為永太郎兵衛作の浄瑠璃『久米仙人吉野桜』を典拠とすることは矢田真依子氏の教示を得た。これは近松の「聖徳太子絵伝記」(享保2[1717]年11月)の改作とみられ、もう一つの改作、並木正三等作「四天王伽藍鑑」(宝暦7年[1757])及びその絵本番付も検討する必要がある。(上)守屋大臣は稲村ヶ城で亡び、めのと馬飼の翁は百姓正作と名を変え、守彦を養育し出家させようとするが、守彦が父の仇聖徳太子を討とうと昼夜殺生力業を好むので角麿の宝剣を密かに池中へ埋め置く。守彦は身をやつして様子を伺い、菅の豊ともから春鴬囀の秘巻を奪い取り殺害する。勘当を受け正作の婿となった菅次郎豊勝は父の死骸を見て驚き、傍に落ちていた太子筆の短冊で仇は守屋の余類と知り、直ちに仇を尋ねに出立つ。渋川村百姓正作の家に椋の葉の矢が立ち、百姓らは正作の孫を生贄として山奥の椋の木の許に置いて逃げる。太子の近臣迹見赤檮は守屋の余類生捕りの武者修行に出、幼児の泣き声に人身御供と知って助ける。守彦は木の洞から椋の矢で生贄の子を召し寄せては、後日返すやり方で味方に付けた、近郷の百姓たちや悪党を集めて太子を滅ぼそうとする。守彦の手下大勢、金剛寺に乱れ入って仏舎利を取ろうとすると塔内が急に震動し、先に進んだ悪党どもが首を抜かれ、その首礫が飛んでくる。迹見赤檮は毘沙門天となり手下共を踏まえ仏舎利を奪い取り憤怒の姿を現す。(下)干魃で百姓らは雨乞いする。正作は水すら乏しい娘夫婦を助けようと、毎夜人目を忍んで水筋を切り水を盗む。落とした煙草入が証拠で正作は村の法に行われることになり、娘おれんは父を助けようと肝胆を砕いて雨乞いするが、雨は降らぬので鎌で竹を削ぎ切り喉笛に刺し貫き、死を覚悟して水のない池に突き立てると水が湧き出す。おれんは喜んで、父を救おうと駆け出す。様子を伺っていた合邦嘉忠太(実は守彦)が来て水底から宝剣を取り出し、父守屋の重宝角麿の名剣が手に入るは天の与えと喜ぶ。様子を伺っていた与茂作(豊勝)は、太子筆の短冊を証拠に父の仇と迫る。守彦は春鴬囀の秘曲の書欲しさに豊ふるを手に掛けたと言う。守彦が名剣を抜くと青天忽ち雲出て雨降る。正作は婿豊勝に「自分は守屋のめのと馬飼の翁だ。我が首を取って仇討ちに代えてくれ」と切腹する。太子の近臣秦の川勝は孝心を愛でて広蓋に聖徳太子の衣冠を載せ守彦へ与える。守彦は父の仇太子を討とうと心を尽くしたが、宝剣と一巻を渡し一念発起する。守彦はこの所に一宇を建て、閻魔の像を築き合邦という仮の名を末世に合邦ヶ辻と呼ばせ諸人の悪行を晴らさせる。閻魔堂、正作が池がある。(木村八重子)(2016.11)