大野長者 2巻
- 黒本2冊(合1冊)、富川房信画、柱題「大のゝ長し(じ)や」「大野の長者」、鶴屋版。題簽欠、当館本題名は上冊表紙の朱打付書「大野長者」による。東北大学狩野文庫本等の題簽により原題は「望/夫/石/提彦松浦軍記」。『改訂日本小説年表』(ゆまに書房、1977)に明和2酉年(1765)とする根拠は不明。『青本絵外題集』(貴重本刊行会、1974)が本書と同じ青海波に帆舟意匠を明和4亥年とする根拠も不明。この意匠の題簽が示す刊年は今のところ未解明。他に青本で下冊題簽欠の東京都立中央図書館加賀文庫本、青本で題簽欠の大東急記念文庫本等がある。(内容)為永太郎兵衛作元文5年(1740)初演の浄瑠璃「武烈天皇艤」の筋を簡略にした作品。(上)武烈天皇は驕奢放逸で政務は乱れ、眉目良き女を好む。平群の高鳥は諂い、大野の長者の娘照日の前を連れて来る。天皇は昼夜を分かたず淫酒に更けり、寝間の用を拒む女は両腕を切り落とされる。三輪の大臣は錦の御旗を隠し取り、照日の前に渡し、諸国の官軍を集めるよう玉穂の宮へ奉ってくれと頼み、密かに姫を落とし腹を切る。高鳥の家来大勢が照日の前を追掛け、危うい所へ玉穂の宮の忠臣野見の弥綱太が駈けつけ難儀を救う。武烈天皇の勅によって宿祢提彦(さでひこ)が唐へ渡り、許嫁の佐用姫は夫を慕い石になる。この石から毎夜青い心火が燃え出る。石切茂藤次は兵庫之介が脱ぎ置いた衣裳に着替える。兵庫之介の留守中、母は茂藤次に頼み事をしたので、面体が似ているのを幸い茂藤次は兵庫之介に成り済まし「京都より只今」と偽り、母に対面し佐用姫の安否を尋ねる。母は真の兵庫と思い、茂藤次に佐用姫の形を彫らせ、硫黄にどうゑんを燻蒸して毎夜心火が出ると噂させ佐用姫を密かに匿う事を語り、人に語らぬ内密かに茂藤次を殺せと言う。茂藤次は「提彦入唐と見せ密かに諸国の軍勢を集めること、佐用姫のからくり聞き済ました」と兵庫の母を切り殺す。これを見て茂藤次となっていた兵庫之介は即座に茂藤次を切り殺す。玉穂の宮は密かに大野館へ忍ぶ。予て宮の情を受ける照日の前は、三輪の大臣から御旗を受取ったことを話す。野見の弥綱太はその錦の旗を早く宮様へ渡されよと言う。(下)大野の長者は蛇の首を切り、家来駒平の油断を見て手裏剣を打つ。駒平は鍬の柄で受け止める。駒平とは、唐へ渡ると見せて姿を隠し、玉穂の宮を立てて太平の世にすべく大野の家来となった提彦である。大野の長者は提彦が3歳の時唐へ渡った金村で、手裏剣で器量を試し、蛇の首を手水鉢に入れ、報敵の一念を感じ親子の名乗りをし、玉穂の宮に義兵を勧め申す。金村の妻は元は海女なので、武烈天皇を欺き易々と宝剣を奪い海に飛び入る。天皇は艗首(げきしゅ)の船の上で、海女が泳ぎ着く方へ追手を向け縛して来いと怒る。三種の神器は大野の長者より差し上げる。兵庫之介は佐用姫を提彦に引き合わせる。提彦は戦に知計を巡らす。玉穂の宮は越前国味真野で旗上げし、諸国の官軍が宮方に帰服し武烈天皇の籠もる千壙の城に攻め寄せる。千壙の軍敗れ武烈天皇敗北、平群の高鳥一人を具し、立石越えより密かに忍び落ち、兵庫之介、弥綱太が追いかける。武烈天皇は自ら首を掻き落とし提彦に渡す。恐ろしい崩御の有様である。(木村八重子)(2020.1)(参考)「『望/夫/石/提彦松浦軍記』について」(丹和浩、「叢」24、2003.2)諸本の書誌・影印翻字(底本狩野文庫本)・典拠(為永太郎兵衛作浄瑠璃『鰭振山姿石/玉穂都花筺/武烈天皇艤』)との対照表等。「赤本・黒本・青本解題集稿(五)」(丹和浩、「叢」25、2004.2)所載。