翁丸物語
- 中本型読本(〈中本もの〉)。十返舎一九著・蹄斎北馬画。文化4年(1807)刊。2巻2冊(合1冊)。仇討ち話に義犬の報恩譚・犬首(いぬがみ)明神の由来を組み合わせる。「翁丸」は『枕草子』第七段に出る犬の名であるが、直接の関係はない。伊勢国一志(いっし)郡藤潟の郷代官「忘井源太兵衛」が打擲されていた犬を助けたことが、「翁丸」の章段に通ずるというのであろう。忘井源太兵衛(70歳)は柔和で正直な人柄を見込まれ、家臣から先代の後家「おかん」に入夫した者。先代の子で惣領の「源三郎」は放逸で家を捨て、主家北畠に仕える女子「おりつ」も戻ろうとしない。そこに源太兵衛の名跡相続の話が起こり、養子を迎えることになる。浪人「島貫丹平」と密通するおかんは、丹平の娘「おせち」と養子「清太郎」を婚姻させようと企むが、急死した北畠の若殿に似た清太郎に一目惚れしたおりつは、相続権を主張しておかんの密通を言い立て、忘井の家を追い出す。丹平は自殺したおせちの首を携えて忘井家に乗り込み、源太兵衛とおりつ夫婦を殺害する。この時、源太兵衛の救った犬が丹平の膝に噛み付き、首を斬られても離れない。(上編)島貫丹平・おかんは悪事を重ねながら西を指して逃亡するが、おかんは小児殺しの報いにより惨死する。一方山伏「観乗」と名のり豊後国に下った忘井家の惣領源三郎は、宿泊先の村人から首のない犬の夢を買い、また験力によって「曽平太」という者の膝に噛み付いた犬の首を落として、「犬首明神」として祭る。その夜の夢に犬が現れ、もと村人の飼い犬で、伊勢参宮の折、源太兵衛に救われたこと、曽平太は敵の丹平であることを語る。仇討ちを果たした源三郎は領主の認可を得て伊勢に帰り、忘井家を再興する。(下編)本作には荒唐無稽な点も多いが、源太兵衛以外の主要登場人物に単純な善悪で割り切れない性格設定が施されており、前半の争論の描き方は、複雑ではあるがリアリティを感じさせる。『十返舎一九集9』(中山尚夫編、古典文庫637、1999.12)に翻刻が収まり、播本眞一に典拠の指摘がある(1995.10)。(大高洋司)(2017.2)(参考文献)播本眞一「一九読本と『奇疾便覧』」(『読本研究』9、1995.10)