武田信玄初軍 2巻
- 黒本2冊(合1冊)、題簽欠、富川房信画、柱題「信けん初いくさ」「しん玄はつ軍」。慶応義塾大学本、東北大学狩野文庫本に上下の題簽あり、原題は「信玄権輿軍」。この題簽は題名上に「新/板」「未」、冊次下に鶴の丸、絵の部分の意匠は上部に富士、下部に6人の朝鮮使節で、宝暦13癸未年(1763)刊(『改訂日本小説書目年表』(ゆまに書房、1977)に宝暦12年とする根拠は不明)鶴屋版。『青本絵外題集』1(貴重本刊行会、1974)の191頁(安永4年の箇所)に同じ上冊分あり。他に題簽欠の東洋文庫(岩崎文庫本)2本あり。(内容)紀海音作正徳5年(1715)秋以前初演の浄瑠璃「甲陽軍鑑今様姿」の筋を単純にした作品。(上)武田晴信は天文22年(1553年にあたる)の初陣に要害堅固な信州海野の城を一戦で攻め落とし、酒宴する。父信虎の出頭長坂長閑が「この度の軍は軍法の理に適わぬ」と嘲り、みな無念がり、晴信は怒る。父信虎の当御台は長閑が腰元もみぢに付けた恋文を拾って味方にし、心を合わせ継子晴信を滅ぼし実子松太郎信重を世に立てようと工む。晴信は傾城園原に馴染み昼夜酒宴。園原が酔余の戯れに晴信の頭を叩き、短慮な晴信は手打ちにせんと怒る。園原は晴信に異見し山本勘介の妹と明かす。(下)晴信は園原の異見を聞き、軍法に達した兄山本勘介のことを語り合った帰途、背後から切り掛かった長閑の家来藤八の首を討落とし屋鋪に帰る。無念に思った長閑は御父信虎へ讒言、信虎は御台と長閑の弁舌に乗せられ晴信を憎み、長閑を討手に差し向け、長閑は晴信の城へ押し寄せる。三州牛窪の浪人山本勘介は晴信に抱えられ御目見えする。「大殿の上意を受けて長閑が来たのに刃を合わせては非礼になる。一先ずこの場を開かれよ。勘介が今日からこの城は預かり申す。城の20や30、取って献上する」と言う。晴信は勘介の言葉に従い立ち退き、信玄居士と法名し諸国行脚に出る。武田信玄は山本勘介と軍法兵術悉く問答し、一生の間数度の戦いに一度も遅れを取らぬ古今独歩の名大将となった。武田の近臣等は長坂長閑の讒言悪逆を憎み、遂に滅ぼした。(木村八重子)(2020.1)(参考)「翻刻・解題「信玄権輿軍」」(石川博、「駿台甲府高校・中学校研究紀要」7号、2010.3)東北大学狩野文庫本を底本に影印・翻刻・解題。